「ネイチャーポジティブ(生物多様性の回復)」の考え方の基底にあるのは、広義の「環境保護」の思想だ。しかし、環境保護といっても微妙に異なる考え方が存在する。例えば、「環境保全」と「環境保存」は区別される。
 では、この区別を明確に言えるだろうか。われわれビジネス関係者がネイチャーポジティブを考えるとき、まずはそれを確認しておくことが必要だろう。

ピーターラビットとナショナルトラスト


 私は1980年代後半、英国の湖水地方(Lake District)の近くの英国国立ランカスター大学で、足かけ5年間、研究生活をしていたことがある。
 湖水地方とは、英国ロマン派の大詩人ウィリアム・ワーズワース(1770―1850)がその風景と人々の生活を美しい詩に詠んだ北イングランドの名所であり、また、ビアトリクス・ポター(1866―1944)による世界的な童話『ピーターラビット』の故郷として有名な、英国有数の観光地の一つである。
 私も休みの日にはよく遊びに行った。また日本から来た友人・知人を案内したものである。当時、観光案内所で流れる日本人観光客向けの日本語案内は、実は、バイトとして私がテープに吹き込んだものだった。
 この湖水地方は、「自然環境の保護」と「人による農業や観光活動」の共生モデルの一つである「ナショナル・トラスト(国民環境基金)運動」の発祥の地である。ポターは、絵本の印税を元手に湖水地方の農地や建物を次々と購入し、それらを寄贈した。彼女は単に景色を守ろうとしたのみならず、19世紀の産業革命で高まった地域開発の波に抗って、伝統的な牧羊文化の維持にも尽力したと伝わる。
 1895年に設立されたナショナル・トラストは、市民からの寄付や遺贈によって土地を買い取り、地域開発から守る公的団体である。現在は、湖水地方の約4分の1以上の土地を保有・管理・保護するという。その活動が認められ、湖水地方は2017年、ユネスコ世界遺産に登録された。美的な自然景観に加え、数千年にわたる牧羊を中心とした「人の暮らしが作り上げた風景(文化的景観)」を守り続けている点が評価されたのだ。現在も、日本をはじめ多くの国がモデルとする環境政策の一つとして著名である。
 ここで注目してほしいのは、歴史的な「環境保全」活動として、自然保護と観光・牧羊産業が共存していることである。英国では、18世紀から自然保護活動が活発で、自然と人間が調和した風景(ピクチャレスク:風光明媚)を守る伝統がある。つまり、自然保護こそが、観光客を惹きつける最大の提供価値だと考えられているのだ。その考え方に基づいて、宿泊施設・地域企業が協力して生物多様性を守る「生態系サービスへの支払い(PES)」へ、観光客からの寄付がなされる仕組み等が整備されているのである。
 つまり、湖水地方の「環境保護」は、歴史的な自然保護を背景に、観光と保全の両立という特徴を持っているのだ。それは、観光業界・牧羊業者(産)、湖水地方国立公園管理局・自治体(官)、大学・研究所(学)、ナショナル・トラスト(公)、観光客や地域住民(民)が連携した「産学官公民」による活動のモデルでもあると言えるだろう。

「環境保全」と「環境保存」


 このように人間活動によって変容してしまった“自然”環境を元に戻すために、〝自然〟を改善・修復する、あるいは少なくとも現状を維持・強化する活動は「環境保全(Environmental Conservation)」と呼ばれる。
 いったん人手の入った地域は、単にそのまま放置するだけでは荒れ放題になるので、常時、能動的関与が必要なのである。そこで極力人的介入を控えるものの、ごみ拾いから植樹まで、あるいは外来種の駆除から環境配慮型農業まで…、いくつも営みがなされるために、特定地域が指定される。わが国の環境省も、いくつかの環境保全地域を指定している。
[自然環境保全地域とは、自然環境保全法及び都道府県条例に基づき、自然環境の保全や生物の多様性の確保のために指定された地域です。ほとんど人の手の加わっていない原生の状態が保たれている地域や優れた自然環境を維持している地域として、「原生自然環境保全地域」、「自然環境保全地域」「沖合海底自然環境保全地域」または「都道府県自然環境保全地域」が指定されています](環境省ウェブサイトより)
 その一方で、「環境保存(Environmental Preservation)」という、自然をまったく手つかずのままで残そうとする活動を指す概念もある。生物多様性を未来に向けて守っていくためには、人手を皆無・根絶する隔離地域が必要との考え方とも言えよう。世界自然遺産やラムサール条約あるいは国立公園などの中に、さらに立ち入り禁止や保護区指定等が存在するのはこの考え方に近そうだ。それらでは、森林の機能による気候緩和や、生物多様性がもたらす土壌形成、水循環などを、人為的介入のない「野生:天然的自然」状態として、そのままで維持することを意図している。
 つまり、「環境保全」が人為的活動と自然環境の両立を志向しているのに対して、「環境保存」は、「野生:天然的自然」の隔離地域を孤立させるという、自然の環境価値それ自体を守るために自然を残そうという活動であると言えるだろう。
 ちなみに、欧米では、「現状維持」より過激に、さらにそれ以前の「原状復帰」を志向する思想と活動もある。いわば、人為的に非人為的な状態をつくりだそうという試みだ。これは一種の「“自然”再生原理主義」とでも呼べそうである。この思想に対して、そもそもいつ頃の「野生:天然的自然」が再生すべき〝本来〟の〝自然〟なのか、どの時点が回復すべき原点・起点なのかを問い、それは幻想に過ぎない、という反論も少なからずある(いずれご紹介したい)。
 さて、ビジネス観点から「環境保護」「環境保存」「環境保全」をみて、何が言えるだろうか。
 私は、人手による自然の利用と、その利用される自然の維持・強化を両立させることは、いわば「半自然」を増加させる活動ではないかと捉え直せると見ている。そして、「自然保護の方向性」を次の3つに整理した。
①「純自然(野生)」の増加
②「半自然」の増加
③「人工空間」の削減
 これらの活動群は、人間が自然に与える負荷(環境負荷)を軽減し、経済発展と環境の維持・強化を両立させる、「持続可能な社会」の構築を目指す枠組みになるのではなかろうか。 (本稿続く)