技術は進歩し、社会は自由、平等、寛容の方向に進むものと思われてきたが、どうも最近の世界の情勢はむしろ逆で、「世界劣化競争」をしているように見える。
 紀元前600年ごろ、ユダヤ人はバビロニアの囚人として「バビロン捕囚」の身となって国を失った。しかし、その70年後、ペルシャ王国(今のイラン)のキュロス大王によって許されて故国に帰ることができた。
 今から実に約2500年も前のことである。国連に陳列されている「キュロス・シリンダー」には、「人の思想や宗教などは、その人の心の自由であり、強制するものではない」という思想が明白に示され、人類初の「人権宣言」として敬意を表されている。
 しかし今、ユダヤ人は自分たちの祖先を助けてくれたイラン人への恩を忘れ、中国では今年の全人代で中国における少数民族の「心の自由」を制限する方針が打ち出された。
 「人権を守る」というのは人類の進歩の結果で得られたものであり、古代より現代の方が進んでいることは自明と思われるが、実は逆なのである。でも、それは「人権」だけではない。
 1789年にフランスで革命が起こり、人類は「自由、平等、民主」の方向に大きく舵を切ったように錯覚されている。日本では中学校でも高等学校でも先生はフランス革命について詳細に教え、そして「日本でも自由、平等、民主が実現した」という。
 でも本当にそうだろうか? 単なる「お題目」ではなく、現実の日本社会で尊重され、実現に向けて努力されているだろうか?

本質を離れ喪失したもの



 最近、ある関西の経済研究所が次のようなデータを公表した。
 1990年ごろにバブルが崩壊し日本経済が低成長に陥った後、10年ほど経ったところで起きていた変化。日本社会が蓄積する「経済活動による富の増大」を分配する際、高度成長期には売上の増大と、国民、経営者に対する富の分配率は、比例関係にあった(つまり産業活動による富の増大が、正しく労働者、経営者に分配されていた)ものが、アメリカなどから導入された「ガバナンス云々、労働環境云々」という一連の「改革」によって、国民と経営者が努力して増やした富をもっぱら株主に分配するようになった。
 これは実に奇妙なことである。日本社会の富は、勤勉な国民と、優れた経営によって得られたものであり、株主は単に「お金」を提供したに過ぎないのだから。
 しかしそのころから日本の富は、生産設備でも経営努力でも、まして生産活動や営業でもなく、株券という単なる紙切れから生まれたと錯覚されるようになった。これでは日本は衰退する。
 お金が貯まれば金庫に入れておくだけで特許が出るとか、ヨットに乗ってクルーズを楽しめば富が増えるとか、日本以外の先進国が先んじて陥った間違いの真似を日本もしだしたのだ。これでは経済の発展が止まり、沈黙の30年が生まれ、そして未来が暗く見える元気のない若者が発生したのも当然である。
 約2500年前にキュロス大王がせっかく人権宣言をしても、イスラエルがその恩を忘れてイランを攻撃したり、せっかく日本の経済界が国民を大切にして高度成長を成し遂げても、その後、次から次へと本質から離れていき、それが衰退や未来に対する夢の喪失になっている。
 アメリカも既にその病気にかかっていて、年収が高い経営者の課税率が1%を切るという異常事態になっているし、ヨーロッパも無理やり仕掛けたウクライナ戦争で呻吟している。

思考停止と品格劣化



 このような事態となったのには2つの原因があるように思う。
 1つは「思考力の低下による論理破綻」だ。この現象は日本だけではなく、特にアメリカ、ヨーロッパにおいて顕著である。
 その原因は、アメリカではキリスト教信仰の崩壊で道徳を失ったこと、ヨーロッパでは500年にわたる有色人種の植民地化によって自らの力を失ったことと指摘されている。
 日本においては、大東亜戦争後の拝米政策によって、なんでも欧米追従、思考不要になったことと考えられる。その典型的なものが、財政的には「財源が必要」、国防としては「憲法に定められている」で終わらせていることだろう。
 簡単に言えば、資本主義の基本は「利子を伴う資金を元にそれを上回る富を得る」という行為であり、国を富ませる行為。現実にアメリカやドイツでは国が作る高速道路は、「富を増大させるので通行料金はいらない」というのが現実である。国防議論では「日本国の憲法に定めているから他国から攻めてくることはない」という奇妙な論議に集約される。どちらも論理破綻があることは示すまでもないだろう。
 第2には、「今だけ、金だけ、自分だけ」の指導層が増えたことだ。それは政治家のウソ、社会人のウソ、メディアの人格低下などに具体的に現れている。
 そうした中でも実業界だけは「現実」を前にしているので、唯一、「正しい日本」、「誠実、恩義、慈愛の日本」を堅持していたが、最近ではそれがやや危なくなっている。
 今こそ、なぜ日本が繁栄してきたかをもう一度考え直し、資源に乏しく小国である日本が、なぜ世界に冠たる国になったのか、先人は何が偉かったのかを私たちは考える時ではないだろうか?