財・サービス・労働者・資本の国境を越えた移動が自由化する自体は、グローバリゼーション(グローバル化)である。グローバリゼーションは現象で、グローバリズムは価値観になる。
ソ連崩壊後のアメリカの軍事力は、他国との比較において「人類史上空前」の水準に達していた。まさに、圧倒的な覇権国だったのだ。
ソ連崩壊、東側諸国の供給能力(モノ・ヒト・ワザ)と需要(市場)が開放され、人類は、「グローバルに、最も安いところから買えばいい」(財・サービスの移動)、「グローバルに、最も安いところで生産すればいい」(資本の移動)、「グローバルに、最も安い労働者を呼び込み、働かせればいい」(労働者の移動)ということになり、確かに物価は下がった。

改めて、90年代前半以降の急激な「世界の消費者物価指数」の下落には驚かされる。ほとんど、別の世界に移行したかのごとくだ。何しろ一時は対前年比40%近い上昇だった世界の物価指数が、一気に5%前後にまで下がったのだ。グローバリズムは「物価を引き下げる」ことを確かに実現した。というよりも、論理的に必ず下がる。
もともと、インフレ率が高くなく、しかも「バブル崩壊+緊縮財政」というデフレ化パッケージを強行してしまった日本は、諸外国よりも低い物価水準に苦しめられることになった。とはいえ、他の国にしても(冷戦期と比べれば)物価が上がっていたわけではないのだ。グローバリゼーションが本格化した以上、当たり前なのである。
そもそも経済学の多くは、物価を引き下げることを目的に発展した。理由は、物価が高騰しがちな時代に発展したためである。あるいは、財・サービスが不足しがちな時期と表現するべきだろうか。
経済学の基本は、「経済合理性以外の価値観を持たない経済人が、情報を均等に与えられ、市場で自由に競争(取引)すると、効用が最大化する」となっている。そもそも、経済合理性以外の価値観を持たない人間などいない。さらには、情報が均等に与えられることもあり得ない。加えて、経済学は「効用最大化」が目的であることを理解してほしい。効用とは、「財貨が消費者の欲望を満たす割合」である。要するに、欲しいものを買えれば買えるほど、効用が高いということになる。
経済学もグローバリズムも、財・サービスの不足が前提になっている。しかも、経済学は学問的に「セイの法則(物は作れば必ず売れる)」を前提にしているのだ。というわけで、経済学もグローバリズムも、常にインフレギャップ、供給能力の不足と総需要過大、という前提になっているのである。
結果、経済学はまともなデフレ対策を考えられない。しかも、物価が下がることは善であるため、そもそもデフレを「悪しき経済現象」とは考えない。だからこそ、デフレ対策として「総需要不足を埋める政府の財政出動」ではなく、「中央銀行の貨幣発行」という的外れな政策を推進しようとするわけだ。
経済学においては、総需要不足は起き得ない。デフレ化で失業者が出た場合、それは自発的失業者。この世に非自発的失業者はいない。「仕事がないというならば、時給10円で働けばいい。高い給料を望むから、仕事がないのだ。つまりは、自発的な失業者である」というレトリックになっているため、グローバリストはデフレ期でありながら雇用対策に背を向け、「物価を抑制する」経済学的な政策、すなわちグローバリゼーションを推進しようとする。
結果、「国民」が困窮し、経済が不安定化し、人々の間にルサンチマンが蓄積していく。グローバリストは人々のルサンチマンを煽り、安全保障を破壊する自由化、民営化、規制緩和を推進する。当然、人々はますます困窮し、社会不安が高まり、政治も不安定化する。やがて、国民の「グローバル疲れ(※エマニュエル・トッド)」が深刻化し、ナショナリズム回帰の流れが強まっていく。
今後の世界も、第一次グローバリズ終焉時と同じように、各地での紛争頻発、そしてナショナリズム回帰が進んでいかざるを得ないだろう。































