1990年台に世界はそれまでの動きが終わり、新しい時代に着地した。
 16世紀のコロンブスから始まった大航海と植民地争奪戦、18世紀の初めに確立された〝金融と資本主義〟の時代、そしてイギリスの産業革命がもたらした動き――それら3つがいずれも終焉したからである。
 1990年初頭、〝資本主義の魔物〟であった共産主義が東ヨーロッパで崩壊し、それは92年のソビエト連邦解体に及んだ。
 また日本の銀行の1年もの定期預金の利子が約5%から0.005%へと急減する結果を招いた。
 そしてIT、通信、半導体などの進展によって、それから30年間で世界は次の時代へと変化していった。
 日本の政治面では長く続いていた自由民主党一党支配が崩れ、村山社会党委員長をヘッドにした「自社連立政権」ができたり、「悪夢の民主党政権」を経て、現在は自民党316議席獲得の〝高市ショック〟で落ち着いている。振り返ってみれば、日本社会の針路もずいぶん長い間、どうしようかと迷ったものだ。
 日本が世界にまれな高度成長を達成したのは、日本の技術や企業の経営が素晴らしかったということもあるけれども、なんといっても、日本の多くの従業員が、愛国心、愛社精神、安定した家庭生活、誠実な心を持っていたということが大きいことも確かである。
 日本企業が高い収益を上げてきたのは、経営や技術が優れていたからだと考えられがちであるが、決してそうではない。関西の経済研究所が整理したように、高度成長時の日本は、会社が生み出した付加価値の多くが、従業員に振り向けられていたという厳然たる事実を示している。
2000年以降、日本の従業員の平均給料は450万円位のまま張り付いたように動かなくなった。これでは日本の繁栄が永続的に続くと考えることはできない。株主と経営者が繁栄する国家が永続するはずはないのだ。
 しかし、そうした世界規模の巨大な変化とそれに伴う混乱を収集するためには、まだ少しの時間を要するだろう。アメリカの国内は分裂し、ヨーロッパは急激に衰退し、中国も発展が止まって混乱の中でもがいている。G7は力を落とし、BRICSもいまひとつ発展しない。働いている国民に目が向かない国家が繁栄するはずもないからである。
 そして次世代に大発展すると予想されるAIや量子科学が立ち上がるにはあと10年を要するだろう。つまり今年からの10年は時代の移行と混乱の時期であり、この間、日本の指導層にとっては「頭の使い所」の時期でもある。

乖離する教育現場


 第一に取り組むべきは、子供の教育を抜本的に変えることだろう。
 今後20年も経つとAIの発展で日本人の仕事は大きく変化し、雇用数も激減する――と、技術分野の専門誌や経済誌は特集号を次々と出している。そして経営者はその波をうまく利用してどのように乗り切るかと日夜、悩んでいる。経済関係の書籍はそればかりだ。
 ところが、20年先にその職場に投入される現在の小学生、中学生は、それとは全く関係ない「高度成長時代」の教育を受けているのが現状だ。著者はここ5年ほど、愛知県を中心に「子供たちのための近未来の教育」への活動をしてきたが、教育界はほとんど「現状の課題に忙殺」されていて、未来に目を向けない。「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮は、このように日本の社会を深く傷つけている。
 「創意工夫もいらない、朝は駅までの道を黙々と歩き、上司の命令に誠実に従い、夜は残業して家に帰る」という生活に適した従業員を作るために、「試験の〝答え〟は、解答枠の中から少しでもはみ出したら、バツになる」という指導が行われている。教育現場の実態と、経営者が必死で近未来の事業を考えている内容とがあまりに食い違う。
 さらに踏み込んで論を展開すると、経済関係のAI論評を見ると、どうしたら早くAIを導入できるか、それによって従業員の数をいかにを減らせるか、つまり「生き残りだけで精一杯」という様相であり、「従業員とその家族を幸福にするためのAI社会」という視点が全く忘れ去られている。
 著者は愛知県を中心として活動しているが、既に〝人間の心を持った人〟を見つけるのが難しくなった東京は衰退していくだろうが、名古屋、そして中部地方は「活気があっても方法がわからない」という状態にあると感じる。
 今、世界で起こっている地滑り的な大変革は、単にAIをどう経営に取り入れるかなどという矮小化された概念では太刀打ちできない。15世紀に始まったポルトガルの海洋航行用の船舶建設、17世紀におけるオランダの東インド会社による〝金融の力〟からじっくりと事実を整理し、長い視野を持って今後の経営や救育に当たらないと、ヨーロッパの没落と同じく日本は崩壊していくだろう。
 「ガバナンス」とか「インフォームド・コンセント」などという咀嚼されていない横文字を使う風潮から早く離脱し、
「なぜ日本企業の経営や技術は35年間も従業員の給料やその家族の待遇を改善できなかったのか?」 「なぜ多くの女性や家族は幸福感を味わっていないのか?」
 これらについて真剣に勉強し考えることにこそ、日本の産業の再生があると考える。