「米海軍によるホルムズ海峡封鎖は即時解除する! 世界の船はエンジンを始動し石油を流通させよう!」 6月14日、トランプ大統領は自分のソーシャルメディアに自慢げにそう投稿した。
 イラン戦争は米国の〝勝利〟で一件落着だと言いたかったのだろう。だが、実際にはそうなっていない。
 トランプ大統領、JD・ヴァンス副大統領、イラン議会のモハマド・バゲル・ガリバフ議長の電子署名は確かに記録されており、トランプは予定を2日早めて、パリ郊外のベルサイユ宮殿で停戦の覚書に署名した。イラン国営メディアもペゼシュキアン大統領が正式署名したと伝えた。
 発表のタイミングはトランプにとって好都合だった。フランスで開催されたG7サミットに現れたトランプはホルムズ海峡の封鎖が解除されると繰り返し、「われわれは既に多くの航路を確保している」と吹聴した。
 しかし、欧州の同盟国はその言葉を懐疑的にしか受け止めていない。CNNに出演した元駐NATO米国大使カート・ボルカーも次のように楽観を戒めた。
「これは新たな交渉に向けた土台を整えるための一時的な覚書だ。イランは核濃縮計画や濃縮ウランの保有に固執し、今後の交渉で強硬に主張するだろう。そしてホルムズ海峡に対して何らかの支配権を主張したいと考えている」
 しかしそんな忠告もどこ吹く風。トランプは、1979年のイラン革命以来、イランと和平を結んだ最初の米国大統領だと自画自賛している。
 もちろんそれは正しくない。トランプは米国をイラン戦争に巻き込んだ最初の大統領であり、その戦争を止めるために停戦を必要とした最初の大統領でしかない。お粗末なマッチポンプだ。

消えた核開発問題


 今回の覚書は、実質的に核問題を含んでおらず、まして正式な合意でもない。実態は両陣営がこれ以上戦争の経済的苦痛を耐えたくないという合意にすぎない。
 気まぐれで我慢のないトランプは、自分が始めたこの戦争に既にうんざりしている。わずか数週間前には、イランに米特殊部隊を派遣して空軍基地を建設し、力づくで核物質を取り除くと息巻いていた。それが今では「えー、なぜそんなことをする必要があるのか。ただの高濃縮ウランだ。それほど価値のあるものじゃない」と言い出す始末だ。
 誰の目にも焦りの色が見える米大統領を尻目に、イランはまんまと大幅な譲歩を引き出した。覚書によれば、米軍による海上封鎖は解かれ、イランはすぐに石油を売却でき、制裁の一部は前倒しで緩和され、核問題は先延ばしされる。その上、3000億㌦の復興基金が提供されるという。
 イランの弾道ミサイルについても何の制限も設けられていない。パリでの記者団に対するトランプの言い草が、これまた振るっていた。
「サウジアラビアやカタールが持っているのに、イランだけが全く持てないというのは少し不公平だ」 
 思わず耳を疑う発言だ。中東のパワーバランスなどトランプには全く関心がないのだろう。この分では中間選挙後に「トランプ合意」を自らひっくり返すこともありえる。トランプが自分で結んだ合意でも気に入らなければ反故にした例はこれまでいくつもある。

ネタニヤフとの亀裂


 さらに注目すべきは、この一連の交渉にイスラエルが全く関与していないことだ。盟友とされるトランプとネタニヤフ両者の亀裂は今や公然のものとなっている。イスラエルが米国と共に戦争に踏み切った目的、つまりイスラエルにとって最大の脅威であるイランの核問題に関して進展がないからだ。
 覚書調印のタイミングもネタニヤフにとっては最悪だった。イスラエル総選挙が10月に予定されており、世論調査ではネタニヤフ連立政権が過半数を失う見通しだ。さらに汚職疑惑や2023年10月以降の戦争対応への批判も続いている。
 ネタニヤフは一貫して「アメリカをうまく動かせるのは自分だけだ」という主張を売り物にしてきた。だがその神話も崩れつつある。それでもイランの代理勢力であるヒズボラへの攻撃を止めないだろう。自らの政治生命に関わる脅威だからだ。
 思い返せば開戦から3ヵ月半ほどの間に、米・イスラエル軍はイラン国内の数十都市にある数百の標的を空爆し、少なくとも3400人を殺害、数千人を負傷させた。大学、学校、水道施設、発電施設など民間インフラを破壊。レバノンでもイスラエルは同様の作戦を展開し、子供118人を含む千人以上の死者と2600人以上の負傷者を出している。

イラン戦争の代償


 今回の戦争でイランの核開発計画を数年遅らせることが出来たかもしれない。しかしそれらはすべて再建可能だ。重要なことは、米・イスラエルが仕掛けたあらゆる攻撃にイランが耐え抜いて〝勝利〟したことだ。最高指導者を失ったにもかかわらず、むしろ軍事・治安エリートに権力が集中し、体制はより強硬になっている。
 一方、財政・軍事コストが異常な速度で膨張し、戦略的地位を毀損し、国内政治も揺らいでいるトランプ政権は、今後イラン戦争の惨憺たる失敗と壊滅的な代償を背負っていくことになるだろう。米ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、アメリカ人の約6割がイラン攻撃は「誤った判断」だったと考えている。
 中東和平の方程式を解くのは難しい。