私が「ヒトがコンピュータを介してヒトを教育する時代の先に、ヒトがAIにAI自体を自学自習させる時代が到来しつつある」という趣旨の議論を行ったのは2016年だった(コンピュータ利用教育学会「2016PC Conference」)。それから10年、ついにそれが本格化してきた。
どういうことか。
マスコミ等で報じられるAIの話題は主としてコンテンツ系の問題だ。たとえば生成AIによってディープフェイク画像・映像が瞬時に形成されて世論を惑わすとか、知らない間に子供のポルノが作られてしまうといった類だ。あるいは、バッハの未公開作品が発見されたが、実はバッハの全楽曲を学習したAIが作ったバッハっぽい作品だったといった問題だ。そして、AIにつくらせたコンテンツの著作権は誰にあるのか、現在アーティストや知財関係者が激論を戦わせている。
だが、ビジネス潮流的にはAIに関する問題はそれだけにとどまらない。私が最近講演会等で強調しているのは、次の2つである。
1つは、AIが〝技術発明〟を始めたことだ。その際 「〝発明者〟はAIか」という問題はあるものの、重要なことは、いかにすれば産業関係者がAIを適切に活用して〝技術発明〟をさせられるか、ということだ。そして、それはどのような問題・課題を引き起こすか。
もう1つは、ロボットにAIが実装され、ロボットが自学自習、すなわち自律的学習を始めたことである(フィジカルAI問題)。それは、特に生産に関わる技術と技能の関係を一気に変えてしまうだろう。
今回から何回かにわたり、これらに関する私の議論をご紹介する。
“発明”を“開発”する
知的財産の関係者は、普通、「発明は発掘するもの」と認識している。ほとんどの知財の教科書にはそう書いてある。だが、この「発掘」という概念は曲者だ。その背後には「“発明”は“既にそこにある存在物”である」とする暗黙の前提/世界観が透けて見える。
既に「存在するから、それを掘り出す」…、鉱山採掘のイメージだ。そしてそれに続くのが、その“発明”をどんな権利にできるか、どう明細書を書けばよいかを検討するプロセス――これが当然のように記述されている。
しかし、本当にそうなのだろうか? 何がどうなれば「〝発明〟が既に存在している」ことになるのか。それを前提にした「既に存在する〝発明〟を発掘する」という考え方は適切なのか。私にはかなりの問題含みに見える。なぜか。
まず、ある技術の研究開発活動で生まれてくる「結果(output)」は、当初明確に切り分けられていない「技術的知見の塊(チャンク)」である場合が少なくないだろう。そのような技術チャンクは、さまざまな角度から検討されていくつもの多様な〝発明〟になる源であり、それが適切な〝発明〟として捉えられて初めて産業的に意味ある「成果(outcome)」になるのでないか。
つまり、本来の技術チャンクには、実は〝発明〟と見なしうる知見がまだまだ他に含まれているかもしれないのだ。あるいは、他の視点・視野・視座から検討すれば、別の切り口から〝発明〟候補をいろいろ見いだせる可能性が出てくるかもしれないのだ。
だが、もし「ある〝発明〟」が既にあるという前提に立ったら、開発結果の中から「ある〝発明〟」を決め打ちして、それを取り上げるだけで済ましかねない。すなわち、それ以外の別の「〝発明〟と見なしうる知見」を見いだす可能性を排除しかねない。
AIは瞬時に〝技術発明〟をしてみせた!
私はこの点が気になり、10年以上前から問題提起を行ってきた。知から技術を経て〝発明〟に至るプロセスにおいて、主体的に知のある部分を切り取りつつ、それを〝発明〟として再構成することで、対象を多様な〝発明〟群として捉えるべきではないか――。そういう趣旨の問題提起をしてきた。
そして一昨年より、日本知財学会の知財人財育成研究分科会の幹事研究会で、この問題を取り上げ、三品岩男弁理士を中心に2年間にわたり模擬事例を使用した実証的な検討を行った結果、われわれは次のような結論にたどり着いたのである。
第1:“発明”とは、ある技術的知見を〝発明〟として見なし/見立て/仕立てる行為であることである(哲学的には現象学的解釈主義や社会的構成主義と関連)。従って、〝発明〟を既に存在するものとして掘り出す「発明発掘」が適切か、実は疑わしい。
第2:むしろ「発明開発」と捉える方が適切である。従って、研究開発結果として得た技術的知見の塊について、多角的な観点(視野・視座・視点)から多様に評価し、適切な〝発明〟と見なして良いもの/すべきものを見いだす/切り出し、その上で〝発明〟として特定するまでの一連の活動を「発明開発」と呼ぶべきである。
――このように提案したのだ。
こう考えてみると、「発明開発プロセス」は、次のサブ活動群で構成される。
- 技術的知見の塊を探索し、“発明”群を見いだす(“発明”が複数重なり合う場合もある)
- “発明”群から適切な“発明”(単/複)を選択する
- “発明”(単/複)から知財として扱うべきところを抽出する
そしてこの後に、「技術開発」が導く「発明開発」はさらに「知財(権)開発」につながる「保護・権利化」に進むのだ。つまり「発明開発」は、知財権利化の前段階として必須なのである。
この「発明開発」は、技術的知見群が生まれた時点では、その価値や適用範囲が十分に分かっていない基本発明やパイオニア発明において、特に有用と考えられるだろう。
さて、前置きはこれくらいにして、いよいよ本題だ。
われわれの研究会で、ある事例を基にして疑似的な技術チャンクをつくり、それをメンバーの知財部員や弁理士がまず〝発明開発〟をすることにした。そして「もうこれ以上見いだせない」となった後で、同じ技術チャンクをAIに与え、「このチャンクを源として〝発明〟をせよ」と指示をした。すると、何とAIはアッという間に、研究会で出尽くしたはずの数を超える〝発明〟をしてみせたのである。しかも、われわれが思いつかなかったような観点からの〝発明〟の切り出し・抜き出しがあった!
つまり、AIは多くの技術の〝発明〟を瞬時に行ったのだ! さあ、これは何を意味するのか、その衝撃は何に及ぶのだろうか? (本稿つづく)























