本年7月20日は参議院選挙だ。この選挙の最大の争点は「消費税減税」と「ガソリン税減税」だ。全野党がこれら両減税を公約で掲げる一方、自民公明の与党はこれらを双方明確に否定しているからだ。
与党がこうした減税を否定するにあたり、その重要な根拠としているのが、それが大衆迎合主義の不条理な「ポピュリズム」に過ぎないからだ、というものだ。
例えば森山裕自民党幹事長は「ポピュリズムの政治をしては国がもたない」と言明の上、諸減税を全て否定しかつその減税阻止に対して「政治生命をかける」とまで宣言している。すなわち森山氏は「大衆が喜ぶ減税を後先考えずにやれば、国の財政が破綻し、国家に巨大な国益毀損が生じ、亡国の憂き目に遭う」という想定を前提としているわけだ。
こうしたポピュリズム批判は、思想哲学の世界ではフランス革命以後さまざまに繰り返されてきた。
例えば、フランス革命については英国の哲学者エドマンド・バークがその革命を起こしたフランス人民の俗悪ぶり悪辣非道ぶりを徹底的に批判しているし、英国からの独立を通して「人民」が作り上げた米国合衆国が如何に非論理的で下劣な社会であるかをフランスの政治思想家アレクシス・ド・トクヴィルが同じく徹底的に批判している。あるいは、ナチスドイツの暴走は、私利私欲やムード以外にとりたてて関心を持たない自己閉塞的で傲慢なドイツの「大衆」によって駆動された様が哲学者ハンナ・アーレントによって克明に描写されている。
こうしたバーク、トクヴィル、アーレントらはいずれも、大衆の私利私欲や気分に基づくいわゆる「衆愚政治」は理性的な帰結を何も導かず、導き得るものは破壊の他なにもないという「ポピュリズム批判」の政治社会上の思想であり哲学であると言うことができる。森山氏の言説は、こうした大衆社会論を基本としたポピュリズム批判に立脚するものだ。
しかし、思想哲学界ではポピュリズムを「肯定的」に捉える議論があるのだ。
例えば、ハンガリーの社会思想家カール・ポランニーは、第二次大戦中に出版した彼の主著『大転換』の中で、資本主義が暴走し資本家によって政治が歪められ、社会・共同体の崩壊が進行した結果、その崩壊を食い止め、今一度社会・共同体を復活させるために生ずるものこそがポピュリズム運動であると捉えている。
彼自身はそうしたポピュリズム運動の展開を大転換と呼んでおり、その大転換を(ナチズムやファシズム等とは異なる)「適正な形」で推進できることこそが資本主義の暴走を食い止め、共同体を復興するために不可欠であることを示唆している。
こうした議論を、英国のEU離脱に向けたポピュリズム運動に適用したのが英国のジャーナリストであるデービッド・グッドハートだ。
彼は地域共同体に全く頓着せず抽象的理念で政治社会運営を行おうとする「どこでも族(エニウェアズ)」(それはいわゆる「学歴エリート」と呼ぶべき人々だ)がグローバリズムをはじめとしたEU統合を進めたものの、その結果が地域共同体やそれに胚胎する文化や社会が崩壊していったと描写する。そして、そんな社会崩壊に反発するのが、地域共同体に愛着を持ちその地の「庶民」として生きんとする「どこかに族(サムウェアズ)」であり、彼らの「逆襲」としてポピュリズム運動が勃興し、英国のEU離脱運動が生じていると描写した。これはまさにポランニーの「大転換」そのものだ。
つまり、ポピュリズムは破壊的な帰結をもたらすこともあれば、建設的な帰結をもたらすこともあるわけだ。
したがって、消費減税なり年収の壁引き上げなりといった「世論が求めるもの」は、それが「世論が求めているから」というだけの理由で直ちに否定されるべきものではないのである。
考えてみれば当たり前すぎるほど当たり前の話だが、世論が求めているからというだけの理由でそのポピュリズムを否定するような態度があるとするなら、それは傲慢で下劣な鼻持ちならないエリート主義に過ぎないのだ。公正な政治において、そんな態度は絶対に許され得ない。だから世論を否定するのなら、その否定の理性的合理的根拠を示す責務が常にあるのだ(それは無論肯定においても同様だが)。
今、各種減税をポピュリズムと否定する論者において、そうした理性的合理的態度が備わっているのかと言えば、少なくとも筆者は全くそう思えない。
森山氏の口から消費減税を否定するための(根拠めいたものではなく、明確なる)合理的で理性的な根拠を少なくとも筆者は一度たりとも耳にしたことはない。しかも、消費減税が公益に資するものを指し示す理性的合理的実証的根拠は様々な論者から様々に供出されている一方で、森山氏のそれらに対する理性的反論を(同じく)一度も耳にしたことはない。
したがって森山氏や財務省関係者からの「減税論に対するポピュリズム批判」に軽々に欺されぬためにも、ポピュリズムをめぐるさまざまな社会思想・社会哲学を基礎的教養として身につけておくことは極めて効果的なのである。























