自民党総裁選が終わった。新味ある政策提言も、さしたる論争もなく、低調の極みだった。やれやれ、こんなことでは候補5人のうちの誰がなってもこの国の社会状況は好転するわけもない。…と思っていたところ、今度は現政権からの公明党離脱騒ぎだ。
 自民党総裁に選ばれた高市早苗が「初の女性総理大臣」となるはずだったのが、にわかに怪しくなってきた。本稿〆切の翌週に召集される臨時国会での首班指名は、一体どうなっていくのだろうか。
 もちろん、本誌今号が発売されるころには既に新政権が発足しているわけだが、まあ、どんな連立政権ができようが、誰が首相になろうが(なにしろ石破現首相の留任説まで出る有様)、期待感などまるで湧きそうもない。現金給付とか手取りを増やすとか消費税減税とか何やらの無償化とか、チマチマしたことで争っている政治家ばかりなのだから。
 そうした政策が無意味だと言っているのではない。それぞれ国民に益があるのはわかっている。しかし、そんなレベルのことは、霞が関の官僚たちが知恵を巡らせて提案すればいい。政治リーダーたる者、この国の未来を展望して進むべき道を国民に対して示してくれなくては! それでこそ一国の宰相ではないのか。

未来への道を示した首相たち


 田中角栄首相が1972年に唱えた「日本列島改造論」は、高度経済成長を遂げた後の日本の姿を提示していた。これに対し、前号でも触れた大平正芳首相は、「都市に田園のゆとりを、田園に都市の活力を」をスローガンとする「田園都市国家構想」を80年にまとめている。
 いずれも、過度に人口が都市に集中し始めた経済成長期の歪みを是正することを狙ったのだが、前者は、国家の地方への集中投資による大規模な工業開発と新幹線や高速道路による都市と地方の連絡、すなわち「都市の地方への移転」によって都市と地方の格差解消を図った。しかし、結果的に「地方から都市への移転」を便利にしてしまった面もある。
 これに対し後者は、地方の自発的な意思を尊重していた。大都市とは別に、各地に農漁村を基礎単位とする全国200~300の「田園都市圏」を形成して、それらが経済的、文化的に相互に連携し合って国を構成することにより、現代に合った「良き共同体」の再構築を目指そうという構想だった。大平の急死により実現しなかったこの構想は、昨今の首相が唱える「地方創生」を40年以上先取りしたものであり、もし実現していたら地方消滅の危機に陥ることなどなかったはずである。
 また中曽根康弘首相は、就任前のポストである行政管理庁長官として第二次臨時行政調査会を主導し、就任後の83年の最終答申へ至る中で、①概算要求基準で予算の伸び率をゼロとする「ゼロ・シーリング」導入による「増税なき財政再建」 ②中央官庁の「政策官庁」への脱皮 ③国鉄をJRにして分割・民営化、電電公社をNTTにして再編成・民営化、専売公社をJTにして民営化する「官から民へ」の行政改革――を断行し、明治以来続いた官尊民卑の風潮を一新した。また、臨時教育審議会を設置して未来の教育を大議論させ、87年の答申で「生涯学習社会への移行」という21世紀へ向けての教育改革方針を示した。
 そして小渕恵三首相である。21世紀における日本のあるべき姿を検討するため「21世紀日本の構想」懇談会を設け、2000年の年頭、「世界に生きる日本」「豊かさと活力」「安心とうるおいの生活」「美しい国土と安全な社会」「日本人の未来」の5つの視点からの報告書を得た。
 そこにあるのは、小渕首相自身の信念でもある新しい考え方だった。
  • 上からの「官の統治」でなく、国民が参加する「自治的統治=協治」へ
  • 個の確立による「新しい公」の創出(公あっての個、ではなく個あっての公)
  • 多様性を力とするため、①個人が自ら生涯を設計する ②地域は自治で自立する ③非営利民間セクターを立ちあげる ④移民政策へ踏み出す
  • シビリアンパワー(軍事力ではなく、経済力と技術力を背景とした大国)を目指すため、①「国民に開かれた国益」 ②近隣アジアとの協調
――など、20世紀までとは違う概念を掲げている。しかも、首相からの一方的提言ではなく、こうした点についての活発な国民的議論を求め、「21紀日本の構想」が国民の間で着実に構築されていくことを強く願っていた。
 そのころのわたしは、文部省(当時)の大臣官房政策課長として21世紀を見据えた教育改革を担当していたが、わくわくする気持ちで、この文書に接したのを憶えている。
 では小渕首相の仕事ぶりはどうだったのか。次回はそれを具体的に示そう。