前回ご紹介した「21世紀日本の構想」懇談会で議論された21世紀の日本の姿は素晴らしいものだった。もし小渕恵三首相が急逝することなく政権が続いていたら、「失われた30年」を嘆くことなどなかったはずだ。
最終報告書が出されてわずか3ヵ月足らず後の2000年4月2日、小渕首相は脳梗塞で意識不明となり、回復のないまま5月14日に死去。次の森喜朗政権では、報告書の内容を実現する動きは皆無だった。
ただ、最終報告書がまとまる以前から、その方向性は小渕政権の施策において強く意識されていた。最も顕著だったのは外交面である。
「米国との同盟関係と統合欧州を含む日米欧三極協力」を土台にするのは不変とした上で、「21世紀には、地理的な近接性を持ち、歴史的・文化的な関係も深く、今後の潜在力を秘めた東アジアにおける協力関係を一段と強化すべきである」と唱え、「特に日本と韓国・中国との関係は、単に外交という名で呼ぶには足りない」として、「隣交」という新しい概念を提案した。
[中国と韓国(朝鮮半島)との関係を長期的に安定させ、信頼関係を結ぶには、これまでの通常の外交努力では不十分であり、観光的、風俗的、流行的な理解では追いつかない。ある種の国民的な覚悟が必要である。そういう意味での「隣交」である]
――と説明されている。
[「隣交」に踏み出すにあたっては、日本人がこれら隣国の民族の歴史、伝統、言語、文化を十分に理解することが求められる。そのためには、学校教育において両国の歴史と日本との関係史、とりわけ現代史を教える時間を充実させるとともに、韓国語や中国語の語学教育を飛躍的に拡充するのが望ましい。日本国内の主要な案内板には英語と共に両国語が併記されるくらいに「隣交」感覚を研ぎ澄ましたいものである。
また、両国との、あるいは三カ国間の「トラック2外交」や知的交流、文化交流、地域間交流、青少年交流といった多層的な対話や交流をもっと広げるべきである]
――とまで踏み込んだ。
事実、1998年7月末の首相就任から2ヵ月余り後の10月8日には、来日したキム・テジュン大統領との間で「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」と題した日韓共同宣言を行う。小渕首相は日本の植民地支配について「痛切な反省と心からのおわび」を表明し、キム大統領は戦後の日本の歩みを評価した。
両首脳は未来志向の関係構築を誓い、両国の関係は劇的に改善されていく。両首脳が頻繁に訪問し合う「シャトル外交」が行われ、当時、小渕首相は天皇訪韓の可能性まで考えていたとの証言もあるほどだ。
キム大統領も、韓国が日本から独立した後50年以上続いていた日本文化流入阻止政策の廃止へと踏み切る。その結果、今日に至るまで両国間の文化的、経済的関係は深化する一途だ。安倍晋三首相とムン・ジェイン大統領の時期、政治的に「最悪の日韓関係」とされた2018~20年ごろでも、それは揺るがなかったではないか。
中国との関係も、相手の行き過ぎた要求には毅然として対処する一方で、文化や環境問題での交流を深め良好な状態だった。高市早苗首相が、いきなり相手を刺激する不要な発言をして日中間の深刻な対立を生んでしまったのと比べてみるといい。「隣交」の重要性は明確だろう。
00年の日本でのG7サミットの開催地を沖縄県名護市としたことも大きい。それまでの3回の日本開催が東京だったのを、強い意思で沖縄へ持って行った。日本を単一民族国家と思い込んでいた麻生太郎首相と違い、琉球民族、アイヌ民族の存在を意識するとともに、戦時下やアメリカ支配下における沖縄の苦衷を踏まえてのことだったのである。同時に、古代から続く西太平洋の海上交流、交易において沖縄が日本、韓国、中国、さらには東南アジアとの結節点の役割を果たしていたことも認識した上だったと思う。
小渕首相が在任中に映画館で観た作品が2本ある。
99年12月公開の『地雷を踏んだらサヨウナラ』(五十嵐匠監督)と『ナビィの恋』(中江裕司監督)だ。前者は、70年代初めにカンボジア内戦を取材するため現地入りし、戦禍に巻き込まれ命を落とした戦場カメラマン一ノ瀬泰造を描いたもの。東南アジアへの思い入れと外相時代に尽力した対人地雷禁止条約を意識してのことだろう。後者は沖縄の小さな島が舞台だ。
どちらも繁華街のシネコンではなく街の片隅の小さな芸術系映画上映館での公開だっただけに、首相の思いの強さが伝わってきたものである。どんな映画を観るかで、その人自身の人柄もうかがえるではないか。























