ようやく、コメを中心とする日本の「農業問題」の真相および解決策が報じられるようになってきた。コメ不足について、「インバウンド増によるコメ需要増が理由」「流通が買い占めているため」「全農が流通を抑えている」と、責任転嫁を続けてきた農水省が、「減反政策が理由」と、真実を認めたのである。
 そもそも、需要ギリギリに供給能力を合わせようとする減反政策自体に無理があった。一切の非常事態を考慮しておらず、それ以前にまともに統計を取る能力も無くなった農水省に、そんな離れ業ができるはずもない。
 2025年8月5日、石破内閣(当時)は「コメ増産」の方針を打ち出した。減反政策の転換というわけだが、財政支出で農家の所得を補償しない限り、コメの生産は増えない。
 具体的には、農家個別所得補償しかない。アメリカや欧州は、莫大な所得補償や価格保障の予算を使い、農家を守っている。先進国の中では唯一、日本だけが農家を守っていない。結果、農業が消えていっている。
 アメリカの農業予算が多いのは「再生産可能な価格の保障」を採用しているためだ。アメリカ方式の場合、グローバルな穀物価格が下がると、再生産可能な価格との乖離が広がり、自動的に農業予算が増えてしまう。欧州方式の所得補償であれば、農産物の価格とは無関係に、一定の所得を予算化すればよい。予算は相対的に安定化する。
 それにしても、一戸当たりの農業予算が、アメリカはともかく、ドイツにしても662万円、フランスは480万円。欧米の農家は、ほとんど公務員だ。この現実を見ても、「日本の農業、農家は保護され過ぎている」といった主張が後を絶たない。日本の農業政策を語る者の多くが「他の国」を見ていないのだ。
 小泉進次郎農相(当時)は8月31日、水田政策をめぐって「民主党政権時代」の農家への戸別所得補償政策を例に出し、「農地を持っていればお金を配る発想を取るつもりはない」と明言。高齢化で農家が減る中で、土地集約で効率的な農業に変える必要があるとの認識を示した。
 「土地集約で生産性を上げる」は、すでに何十年も叫ばれ続けてきた農業政策だ。さらに言えば、フランスなど土地集約化に成功した国にしても、半世紀かかった。土地集約に際しては他人の財産権という障壁がある。しかも、日本の場合、土地集約をしても生産性は上がらない。虫食い状になってしまい、むしろ生産性は落ちる。
 生産コストは、集約化によって一時的に下がるものの、その後は上がっていく傾向にある。可住地面積72%のフランスですら、農地の大規模化に半世紀かかった。それに対し、日本は可住地面積が27%に過ぎず、さらにはフランスよりも公用収容制度の利用が制限されている。しかも、農地の多くが中山間地域にある。国土的に農地の集約が困難であるため、大規模が進めば進むほど、むしろ生産コストが上がってしまうのだ。
 そもそも、日本のコメ不足を防止するには、「農家がコメ農業で食っていける」状況を作るしかないのだ。そのためには、欧米諸国同様に農業予算を増やさなければならない。他に方法はない。それにもかかわらず、財務省は農業予算を増やさない。結果、農地の広域化、集約化といった無意味な政策ばかりが叫ばれる。
 例えば、日本にも100㌶以上の稲作農家はある。とはいえ、水田が100ヵ所以上(!)に分散している。そんなありさまで、生産性が上がるわけがない。それに対し、アメリカなどは100㌶が「1つの農地」なのである。地平線の向こう側までが「1つの農地」のアメリカと市場競争をして、勝てるはずがない。
 そのアメリカにしても、政府が「再生産可能な価格の保障」という財政支出で農業を維持している。欧州にしても、所得補償で農家を守っているのだ。それを全否定し、政治家は意味がない集約化を「これまで通り」主張する。もっとも、小泉農林水産大臣の発言は、背後の官僚(財務官僚)のレクを繰り返しているに過ぎないのだろう。
 農水省の官僚は、農家個別補償制度に反対はしない。反対するのは、予算を所管する財務省だ。姑息なのは、小泉大臣が農家個別補償という「正しい政策」を否定する際に、民主党を持ち出したことである。民主党政権の悪評を利用し、印象操作を狙ったのだろう。
 日本のコメや農業を守るためには、政府が予算を増やすしかない。この現実から政治家が目をそらし続ける限り、日本の農業は消滅を免れない。