現在の世界は3つの地球規模の環境危機に直面しています。気候変動による危機、生物多様性の減少、そして有害化学物質やプラスチックなどによる環境の汚染です。
 本連載ではこれまで主に気候変動を取り上げてきましたが、ほかの2つも重要です。そしてこれらは相互に密接に関連。気候変動の抑制のためには脱炭素型経済に、プラスチックなどの汚染を抑制するには資源循環型経済(サーキュラーエコノミー)への移行が必要です。本稿では生物多様性に焦点を当てます。特に最近注目を集めているのが、「ネイチャーポジティブ」という考えに基づく「自然共生の経済戦略」です。

「ネイチャーポジティブ」とは何か


 それでは「ネイチャーポジティブ」とはどのようなことを意味するのでしょうか。
 「ネイチャーポジティブ」は日本語で「自然再興」と訳され、生物多様性の損失を止め、自然を回復軌道に乗せることを意味します。具体的には、人間活動による自然の損失を食い止め、回復を目指す取り組みを指します。
 国際的な背景としては、2022年12月に開催された生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)において、30年までの世界目標として「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が採択され、30年までのミッションとして「生物多様性の損失を止め反転させる」、すなわち「ネイチャーポジティブ(自然再興)」が掲げられたのです。
 日本では、この世界目標と整合する形で、23年7月に生物多様性国家戦略が閣議決定され、短期目標として30年までのネイチャーポジティブ実現が掲げられました。これを達成するための基本戦略の1つである「ネイチャーポジティブ経済の実現」を具体化したのが、「ネイチャーポジティブ経済移行戦略」であり、24年3月に、環境省、農林水産省、経済産業省、国土交通省の4省庁連名で発表されました。
 人間の経済活動で森林や生物数は減少の一途をたどってきましたが、それを食い止めなければ経済活動の基盤そのものが危うくなります。
自然破壊が経済的損失を生むという国際的な認識は高まっており、たとえば2020年の世界経済フォーラム(WEF)の推計によると、世界の国内総生産(GDP)の半分にあたる44兆㌦(約6600兆円)もの経済が自然に依存し、自然破壊を放置すれば企業は事業を継続できなくなるリスクもあります。
 逆にネイチャーポジティブな経済への移行によって全世界で年1372兆円のビジネス機会が増加するとされています。環境省の試算によると、日本でも30年時点で年47兆円のビジネス機会が新たに生まれると推計されています。

ネイチャーポジティブ経済移行戦略


 この戦略の狙いは、ネイチャーポジティブの取り組みが、企業にとって単なるコストアップではなく、新たな価値創造やビジネス機会につながることを示し、実践を促すことです。言い換えると、各企業の価値創造プロセスに、自然保全の概念を重要課題(マテリアリティ)として位置づけることです(これを「ネイチャーポジティブ経営」といいます)。
 この戦略の中では、移行に当たって企業が押さえるべき要素、新たに生まれるビジネス機会の具体例、ネイチャーポジティブ経営への移行を支える国の施策が具体的に示されています。
 この戦略の実行を通じて、「ネイチャーポジティブ経済」、すなわち個々の企業がネイチャーポジティブ経営に移行し、バリューチェーンにおける負荷の最小化と製品・サービスを通じた自然への貢献の最大化が図られ、また、そうした企業の取り組みを消費者や市場等が評価する社会へと変化することを通じ、自然への配慮が評価されるとともに、行政や市民等の多様な主体による取り組みが相まって、資金の流れの変革等がなされた経済を目指しているのです。
 一方で、企業の情報開示・計画策定を促し、投資家の資金の流れを呼び込む動きも加速しています。23年9月には、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)によって自然資本・生物多様性に関する情報開示の枠組みが公表されました。企業に対して、ビジネスの自然への依存や自然に与える影響、そのリスクと機会を評価・管理・報告することが求められ、この情報開示の促進によって民間資金の流れの変革を目指す動きが生じ始めています。
 環境省ではこの戦略を実現するための具体的な実施スケジュールを示した「ネイチャーポジティブ経済移行戦略ロードマップ」を24年7月31日に公表。今後の課題としては、以下のような点が指摘されています。
①指標の未整備:CO2排出量のようにシンプルに測れないため、自然関連リスクの可視化が難しい。
②企業間格差:先進企業と中小企業の対応力に差がある。
③インセンティブ不足:短期的な収益につながりにくい保全活動をどう経済合理性と結びつけるか。
④国際競争力:EUの森林破壊規制などに対応しなければ、貿易面で不利になる可能性。
 今後は個々の企業も、ネイチャーポジティブ経済移行を企業価値向上の機会として捉え、ネイチャーポジティブ経営を実践することが大切です。そうした経営を通じて企業の取り組みが評価され、企業価値と地域価値が向上する好循環が生まれ、中小企業も地域経済循環に貢献し、持続可能な経済活動が進展することが期待されます。