この度、自由民主党と日本維新の会の政策協定に基づいた自民維新連立政権としての高市政権が誕生しました。連立にあたっては政策協定の合意文書が交わされましたが、その中で具体的な政策方針として次の一文が明記されました。
 『国民に寄り添った経済対策等の速やかな実現に加え、憲法改正や安全保障改革、社会保障改革、統治機構改革を含む中長期にわたる日本社会の発展の基盤となる構造改革の推進』
 すなわち、安全・社会保障、統治機構、そして、日本の根幹たる憲法のそれぞれを「改革」する方針が謳われたわけです。これは多分に自民と連立を組んだ維新のそもそもの結党イメージが、幕藩体制から近代国家体制へとの革命的大改革を成し遂げた「明治維新」であることの必然的帰結と言えるでしょう。
 ちなみに高市氏は政界きっての「保守」政治家といわれています。そんな保守政治家が「改革」をこれほどまでに前面に打ち出していることに違和感を感ずる向きもあるかもしれません。しばしば「保守」は改革とほぼ同義の「革新」の対立概念だからです。
 しかし、「保守思想」を産み出したエドマンドバークは彼の主著『フランス革命の省察』において次のような言葉を遺しています。
「A state without the means of some change, is without the means of its own conservation」(変革なき国家は、保守できない)
 つまり、保守思想においては改革は常に忌避されるべきものとは見なされていないのであり、保守すべきものを保守するためには、しばしば「改革」(チェンジ)が不可欠だと論じられてきたのです。
 では、保守思想においては一体何を「保守」し何を「改革」すべきだと見なされているのでしょうか。
 この点については18世紀の代表的英国経験論の哲学者デビッド・ヒュームが『理想社会の理念』の中で次のように明確に論じています。
 「社会的・政治的な技術と通常の技術とは、全く異質なるものである。通常の技術においては、正確で都合の良い技術が見いだされたのなら古い技術を捨ててしまうこともできるし、新しい技術を実験的に使ってみることもできる。しかし(社会が不可逆な歴史によって紡がれる以上)、賢明なる為政者は、単なる議論や哲学への信頼に基づいて社会をこねくり回したり、実験を試みることは絶対に慎まねばならない。仮にもし公益のために何らかの改善を試みるとしても、その革新を可能な限り古い社会構造と調和させ、社会の主要な構造をそっくりそのまま残すように努力しなければならない」
 つまり、「保守」思想において変えてはならないものと見なされているのは、「社会の主要な構造」なのです。
 例えば日本社会で言うなら、婚姻制度だとか性別制度だとかは古からの日本の伝統的制度であり、「社会の主要な構造」そのもの。だからLGBTや選択的夫婦別姓論は、それらの制度を根本的に変革してしまうことから、「保守」においては忌避されるのです。
 同様に外国人参政権だとか移民受け入れ拡大もまた、単なる住民とは異なる「国民概念」の根底からの変革を強要することから、同じく「保守」において忌避されるのです。
 しかし、ヒュームが言うところの「社会の主要な構造」を「変革」「革新」してしまうような、保守思想の視点から言うなら最悪の制度やルールというものを人工的に作り、社会に無理やり「インストール」することもできます。
 例えば、われわれ日本人が(というかあらゆる国が)当たり前のものとして所持し続けてきた自らを守る態度と仕組み―それは「自衛制度」などと表現できるでしょう―を制限するための「憲法9条」(第二項)の制定がそれに当たります。つまりこの条文は、日本人が太古の昔から当たり前に続けてきた「自分たちの身は自分たちで守る」という「社会の主要な構造」を根底から変革させてしまったわけです。
 こういう保守すべきものを保守させなくする仕組みや制度については、改めて再度「変革」することこそが、本来保守すべきものを保守するために必要だということになるわけです。こうした事例があるからこそ、バークは「変革なき国家は、保守できない」と断じたわけであり、保守主義者こそが積極的に変革を推奨せねばならぬ責務を負っているわけです。
 つまり、真の保守主義者たるもの、「Reform to Conserve」(保守するために改革せよ)の精神が求められているのです。
 例えば、今アメリカのトランプ大統領が「過激」な改革を次々と断行していますが、その「トランプ革命」の主要部はまさにこうした理念に基づく「保守革命」と位置づけることができるでしょう。 
 ついてはこの度新しく誕生した「保守」政権たる高市政権が、日本の「社会の主要な構造」とは何かを真剣に吟味し、保守すべきものを保守せんとし、そしてその保守を妨げる仕組みや制度を徹底的に果敢に「改革」せんとするダイナミックな政治を展開されんことを、心から祈念したいと思います。