現下の高市早苗内閣は「責任ある積極財政」のスローガンの下、これまでのプライマリーバランス規律に準拠した「緊縮財政」からの転換を打ち出した。それはひとえに、わが国の30年以上続く「長期経済停滞」の根本的原因が「緊縮財政」であり、それを終わらせるには政府による力強い積極財政以外に道はないという事実認識があるからだ。
ただし、経済学界にはこの高市内閣の見解に対する反発は強い。彼らの多くは緊縮財政派であり、経済が停滞しているのはすべて、わが国の供給力の質的劣化が原因であり、構造改革や自由化を通した生産性の向上が経済成長の鍵だと主張する「供給サイドエコノミクス」に則っている。
一方で、積極財政派は総需要不足こそが経済停滞の原因であり、停滞脱却には供給以上の需要がある「高圧経済」状態の継続が必要だと主張する「需要サイドエコノミクス」に則っている。
そしてわが国の「経済学界」の主流は、前者の「緊縮派」なのである。
しかし、ここで重要なのは、学会における多数派が正当である保障は全くない、という点だ。事実、科学哲学者トマス・クーンは、学界多数派は「真理」ではなく「パラダイム」が生み出しているという実態を暴き立てている。つまり「科学的真実」といわれるものは、実は「科学者集団」において社会的に共有された思考枠組(パラダイム)の「はやり廃り」によって規定されているのが実態だったのである。
その典型例は地動説/天動説だ。中世欧州の科学者集団は天道説が「真実」とされ、地動説は「虚偽」とされた。つまり当時は天動説パラダイムが科学者集団を「支配」していた。無論、科学者集団も社会の一部であることから、パラダイムには一般社会の「常識」「宗教」が色濃く影響する。事実、当時のキリスト教の教義にとって地動説は都合が悪く天動説の方が都合がよいという背景があり、その結果、天動説と整合する論理や実験、事実は重用される一方、天動説と矛盾する論理や実験、事実は無視され、正当性なきものと社会的に消去、抹殺されていった。
ただし矛盾する事実が積み重ねられるに従い、その事実を全て無視し抹殺することが徐々に困難となっていき、最終的に「パラダイム転換」が生ずることになる。天動説から地動説へのパラダイム転換もそうしたプロセスによって生じたのである。
さて、現下の経済学会もまた「経済学者社会集団」というべき社会を構成し、彼らは今、緊縮派パラダイムに支配されている。しかし、当該パラダイムでは容易に説明し難い事実がさまざまに今、蓄積されてきている。
消費増税が行われた途端に消費が下落し名目成長率が下落する、生産性を上昇させ成長を導く筈の構造改革・自由化・民営化をいくらやっても経済成長はせずむしろ長期低迷が深刻化していく、国債発行額が増えるに従って着実に金利が長期に引き下がっている、リーマンショックの際に政府支出拡大を果たした国家が一早く成長軌道を取り戻した――等の諸事実は何人たりとも否定出来ない「事実」であるが、緊縮派パラダイムでは整合的に説明できない一方、積極派パラダイムでは整合的に説明可能なものばかりなのである。
むろん、キリスト教に整合する天動説が転換するには莫大な矛盾の蓄積が必要であったように、今日の緊縮派パラダイムもまた、(かの故安倍晋三氏も回顧録で再三指摘しているように)政府内外で強大な勢力を誇る財務省の行政目的に整合的である以上、パラダイム転換には相当程度の矛盾拡大が不可欠だ。
しかもその財務省勢力の影響、ならびにレントシーキング(行政活動への参与で利益を得続けるビジネス)を求める財界勢力の影響を受ける格好で、緊縮派の主張を展開することが学界のみならずメディア界でも政界でも利益をもたらす一方で、積極派の主張をする行為が不利益をもたらすパラダイムが学会内部のみならず「社会」全般において形成されているため、その転換は決してたやすいものではない。彼らは皆パラダイム転換の「抵抗勢力」なのだが、パラダイム転換が生ずるのは、彼らの抵抗圧力を上回る転換圧力がかかった場合に限られるのである。
そしてまさに今、高市政権の樹立を通して、「政界」においてパラダイム転換が起こらんとしている。
その直接的原因はインフレによって国民的困窮が一気に拡大した所にあるわけだが、その帰結として経済財政諮問会議や経済成長会議に積極派が初めて配置されるに至った。パラダイムとは社会全体にまたがる巨大な枠組であり、それに比べればこうした転換はまだミクロなものだ。しかし、高市政権の積極財政で経済低迷が実際に終われば、パラダイムの大転換が生ずる可能性が一気に拡大するだろう。
むろん、それが「パラダイム」である以上、先に指摘した抵抗勢力の抵抗圧力が巨大であることは必然的な帰結だ。しかし、パラダイム展開は歴史的に幾度となく生じてきたものだ。だから、それが今起こらないとも限らないのである。
後は学界、メディア界、そして政界が矛盾を素直に認める「誠実性」をどれだけ持っているかに依存している。























