つまり、個別の技術的成功などは考慮せずに、大枠で「何が良かったのか」を考えることで、今後の参考にできれば…ということだ。
近代の発展とは何か
18世紀のヨーロッパを中心に進んだ近代の発展には、
- フランス革命をモデルとする社会的改革(封建制から自由、平等、民主への転換)
- 蒸気機関などによる技術的改革
――という2つの要因があった。
確かに封建時代よりも、現代社会の方が社会に活力もあるし、人々も自由を享受しているように見える。多くの人の顔も楽しそうだ。だから、フランス革命を中心とした新しい社会は成功したように見える。
しかし、少し深く考え、経済、政治、社会などの社会科学の論文を読むと、必ずしもそうではないことがわかってくる。
民主主義社会になって格差は縮まったように見えるが、国際的な研究によると、アメリカや発展途上国を中心として、驚くべきことに封建時代より格差が広がっている地域の方が圧倒的に多い。
女性の社会進出、自由な雇用体系などの導入によって、まさか格差が拡大しているとは思えないが、収入の格差は拡大し、おまけに「自由、平等」も実質的には成立していないとされている。
そして実際には「自由にものが言えない社会」なので言論の自由も怪しいし、職業の選択も限定的である。いったい何が自由になったのか、何が権利として有効なのか、よくわからなくなっている。
日本では、税金、医療費、年金などを含めた国民からの徴収金の割合は50%に達すると言われているし、物質生産に対する社会的な価値は低下していると言われているが、相変わらず母子家庭の悲惨なケースで見られるように「人間」に対する価値は高まっていない。
それに対して、ピカッと光っているのは、なんと言っても1960年から2020年の60年間における技術の進歩である。
幸福度を上げるものは
筆者は60年代初頭には既に生きていたが、当時、電気洗濯機、冷蔵庫、風呂、自家用車、クーラーはもちろん、水洗トイレ、瞬間湯沸器、石油ストーブまでも、まだ庶民の手には入りにくかった。
それが70年代に入るあたりから急速に普及していった。さらに時代は進んで、21世紀からのIT化、スマホなどの通信や自動化の発展はめざましい。
今後一層の進化が予想されるAI、量子科学などを考えると、日本人の人生を豊かにしたという点では、「自由、平等、民主」などより、「科学技術、生活そのもの」の方が圧倒的に人間の幸福度を上げた原因になっていることは明らかなように見える。
世界は200ヵ国ほどもあり、どの国も独自の歴史を持ち、社会の特徴がある。人間の性質も違うし、宗教の影響も強い。
だから、どの国も同じような政策を採り、同じような考え方を採用すれば発展するというものではない。その国、その社会に適した方法を採らないと発展しないのは当然である。
日本は戦後、人々の心は〝経済的な豊かさ〟という目標を共有し、それに向けて日本人の集団性を発揮し、嘘や騙しのない透明な社会を保持していた。
日本の会社は、日本人や日本の社会の良さを生かし、日本人の得意分野の一つである「技術」に注力して頑張った。それが高度成長期の成功の要因であった。そのことにはほぼ異論がないだろう。そしてそれは、特に日本の中でも尾張や三河を中心とした中部地域が大成功を収めた理由でもあった。
個別の企業や個人に帰するべき原因もあるが、ほとんどは「大きな選択」がものを言ったのである。
日本人の「得意」を再考
日本人は「金融、国際的な活動、全体をカバーするシステムなどを作り出し、そのポイントを押さえること」はあまり得意ではない。それよりも具体的な目標を持ち、団結してその目標に到達する努力をするのが得意な民族である。
それは古墳時代も、元寇の時も、近代日本の危機を克服する時も、同じだった。
日本人の得意な分野や行動様式は変わらない。だから、「欧米風」が欧米で成功しているから日本もまねれば良いというのは安直すぎ、短絡的な考え方だろう。
筆者は「Japan as No.1」と言われた日本に90年以後停滞が起きたのは、「日本から非日本へ」と舵を切ったからだと考える。
舵を切ったのは、政治、経済、法律、倫理、および家庭構造、終身雇用、集団性などであり、技術分野以外はすべて失敗している。民族の性質、慣習、観念、そして得意分野などは、その国の歴史、遺伝子、言語などに深く依存しているのであり、「猿まね」が成功するはずもない。
すでに30年間、日本人1人当たりの年間所得は450万円程度で変わらず、社会は沈滞し、虚偽も蔓延してきた。でも、回復は簡単だ。
日本社会の文明は日本文明であり、日本列島の言語は日本語である。誰も「どうしたら日本が繁栄するか」がわかっているはず。ちょっと考え違いをして「欧米のまね」をしたことで損を重ねているだけ、と著者は感じている。























