ところが、世界的ベストセラー『文明の衝突』(サミュエル・P・ハッチンソン:アメリカ 1996年刊)では日本文明と中華文明は明確に区別されていて、世界で8大文明の中で、この2ヵ国だけが国単位で一つの文明を成している。
つまり、日本と中国は地理的に近く、人種的にも、歴史的にも文化的にも似ているのに、地球の裏側と同じぐらい遠い関係にあるのだ。
なぜだろうか? そして、現在の日本人と中国人はそれをよく理解して相互の関係を築いているだろうか? それとも「親戚同様」と錯覚しているのではないだろうか?
最近の日中関係を見ると、日本も中国も「異なった文明同士の付き合い」と思わずに、ついつい「親戚同士」と錯覚していると思われる。赤の他人に親戚のように呼び掛けたり、親しくしようと思っても、それは無理であり、かえって物事がこじれるのは当然でもある。
どの民族の国か
まず、日本と中国との最も大きな差は、日本が「国の歴史」を重ねてきたことに対して、中国は「地域」を基準にして発展してきたことである。
つまり日本という国は、世界的にも珍しく、1つの民族が、1つの地域に居住し、そこで生活をしてきたが、このような国は世界でほとんど日本だけと言ってもそれほど間違いではない。
これに対して、われわれが「中国」と言う場合、意識はしていないが「国」を意味してるわけではなく「地域」を指していることが多い。
例えば、中国は「漢・唐・宋・元・明・清」と呼ばれる王朝を経て現在に至っているが、この王朝のうち中国人(漢民族)の王朝は、「漢・宋・明」の三王朝に過ぎず、後は異民族が支配した王朝であった。
すなわち、中国最初の王朝であるとされる「夏」以来、長い中国の歴史で「自国の人たち(広義の漢民族)の国」であった時代は、半数以下(時間で計算しても45%)であり、実に中国と呼ばれる地域は「中国人ではなく、異民族」の国だった方が多かったのである。
「自分の国が自分と違う人たちに支配されている」という状態であったことが日本にはないので、日本人は感覚的に正しく掴むことができないが、それが中国そのものなのである。
国境の捉え方は
第2に「中国には国境がない」ということだろう。
日本人として日本に住んでいると、日本国という意識も常にあるし、どこが日本国の国境であるかというのもよくわかっている。子供の頃からそうだから、日本人に「日本の国境はどこですか」などと聞いても馬鹿にされるだけでまともな返事は得られないだろう。
けれど、世界を見ると、歴史的にも、また地理的にも、どこがどの国のものであるか、どこに国境があるかというのは、一般的にはよく知られていない。
例えば「ローマ」というのは、ローマ帝国時代はヨーロッパ・中東ほとんど全部がローマであったが、現在ではイタリアの一部であってローマという国はない。国土というものは大きくなったり、小さくなったりするので、それも決まってないのが普通である。
現在の中国ですら、本来の中国(そもそもその領域がどこだかはっきりしていない。万里の長城のように2000年間も明確に建造物で分けていたところも、その北が中国になったりならなかったりしている)の国境は不明確である。
中国人の書いた国境の図に、ベトナムや朝鮮半島全部が中国領になっているものもあり、例えば台湾はもともとどこであるかなどという概念は中国にはない。軍事力で台湾を取ってしまえば取ったものの領土である。
違いを前提に置く
『文明の衝突』というベストセラーはこういう概念を学問的に示したものだ。
日本が中国文明から学んだ時期は2世紀から5世紀の間だけであり、それ以後は文字も含めて日本独自に文明を築いたとされている。人種も、建物も、文字も、生活のスタイルも、日本人と中国人は外見的には類似なのに、欧米から見てもなぜ日本を「日本文明」として独立させざるを得なかったのか?
それは「人の意識、文化などによる文明として類似ではない」ということである。そして、中国の人は中国の文明が正しいと思っているし、日本人はそもそも「正しいこと」は世界全体で決まっていると錯覚している。だから、話が合わないし、ビジネスのように冷静に進める場合は軋轢が生まれる。
最近の日本と中国のいざこざ(首相発言やレザー照射など)の日本での論争は「日本文明から見た正義」を強調し、中国の主張を「間違っている」とする場合が多く、それでなぜ「異なる文明の人たち」と発展的に仕事をし、議論ができるのか不思議である。
つまり現状を前向きに転換するには、「日本が正しいか? 中国なのか?」という論点を外して文明的、建設的な見方をしなければならないだろう。























